貢献認知ゲームとしての会話:ハとガ,情報の新旧


犬童健良 関東学園大学経済学部経営学科

e-mail: indo@kangaku-u.ac.jp

平成7年6月25日(平成13年1月1日改訂)

目次



概要

 
日本語の「Xは...」は,「Xが...」と同じように,文の主語あるいは主格を表わすだ けでなく,文の主題を提示し,コミュニケーションの状況における話し手と聞き手の相 互的主観を反映する.また「とりたて」機能を持つ一連の副助詞と同じように,「雨 は降る」のように暗黙の対照項目に気付かせる.一方,「が」には,「象が哺乳類だ」 のように「XだけがYである」という,排他性をもった非通常的用法(総記と呼ばれ ることのある)がみられる.さらに機能言語学者らは,これらの用法の切替わりを, 話し手と聞き手の相互知識や談話の状況とを,情報の新旧の概念と関連づけて論じて いる.しかし,いくつかの文献で説明される,ハは旧,ガは新を示すという通説はミ スリーディングである.主題とは何であるのか,情報が古いとか新しいということ, またこれと関連して先行文脈からの予測可能性を,それぞれ明確に論じるためのデバ イスを,そもそも言語学はもっていない.




  1. はじめに

    日本語の「Xは...」は,「Xが...」と同じように,文の主語あるい は主格を表わすだ けでなく,文の主題を提示し,コミュニケーションの状況における話し手と聞き手の相 互的主観を反映する.また「とりたて」機能を持つ一連の副助詞と同じように,「雨 は降る」のように暗黙の対照項目に気付かせる.一方,「が」には,「象が哺乳類だ」 のように「XだけがYである」という,排他性をもった非通常的用法(総記と呼ばれ ることのある)がみられる.さらに機能言語学者らは,これらの用法の切替わりを, 話し手と聞き手の相互知識や談話の状況とを,情報の新旧の概念と関連づけて論じて い る.しかし,いくつかの文献で説明される,ハは旧,ガは新を示すという通説はミ スリーディングである.主題とは何であるのか,情報が古いとか新しいということ, またこれと関連して先行文脈からの予測可能性を,それぞれ明確に論じるためのデバ イスを,そもそも言語学はもっていない.  「XはY」,「XがY」,あるいは「XはYがZ」の形をした日本語の文の意味は, 係助詞「は」(wa)と格助詞「が」(ga)の言い回しによってびみょうに,ときには明ら かに変化する.

    (1)
     a.象は鼻が長い.
     b.象の鼻が長い.
     c.象の鼻は長い.
     d.象が鼻が長い.

     ふだん日本語を用いて生活している人なら,上のほぼ同内容の言い回しから,び みょうな意味の違いを感じるだろう.またそうした意味の変化は,その文が使用さ れる典型的状況について私たちが抱く期待と,その状況における文の送り手の情報 的地位を反映している.たとえば,(1a)や(1c)が発言されるのは,A)象 についての知識を人に伝える状況,またはB)象を実際にあるいは絵や写真で見な がら「長いなあ」と詠嘆するように言う状況のいずれかだろうと期待される.また Aのケースであれば,これらは文章中の一文としても自然である.一方,(1c) がBの状況で用いられる場合,発言者のまなざしは象の鼻の部分に注意が集中して いると期待される.(1b)はこのうちBのケースでは自然だが,Aの状況では使 いにくい.(1d)は「◯◯が」という表現が重なるため(ただし主格と目的格の ちがいはある),少々不自然ではあるが,「キリン,象,サイ,...の中でどれ が鼻が長いか?」という質問が発せられている状況で使用されたとすれば,その答 えの文としては自然である.

    このように「は」や「が」を含む文の解釈は,文を使用する状況,および発言者が 何に注目して語っているのかについて,私たちが抱く典型的なイメージや期待と共 に変化(covariate)していることが分かる.

    日本語の助詞「は」と「が」の問題はしばしば内外の研究者らによってとりあげられ てきた.言語学では主に題述関係(thema-rhema relation, or topic-comment relation)や情報の旧/新(given/new)または既知/未知(known--unknown)の観点 から論じられた.日本語の助詞「は」は文の主題をマークするといわれる.国文法学 において主語,主格を表示するための文法的機能と,題目あるいは主題とり立てるに よって果たされるコミュニケーション機能という,「は」の二重の機能をめぐる長い 研究史がある(いわゆる提題性については尾上(1977)参照).三上(1960)は「は」 による主題のとりたてを格機能の代行という観点から分析した.また“情報の新旧” の文中位置(Chafe,1970;久野,1973;井上,1979)あるいは項目の“既知と未知” (大野,1987;北原,1981)という情報伝達機能をめぐって論じられた.

    また生成文法の研究者は「は」の主題(thema)と対比(contrast),および「が」の 総記(exhaustive listing)と中立記述(neutral description)と目的格を分類し, 主題の「は」が先行名詞句の既知性によって制約されること,および記述の「が」が 述部の性質によって制約されることを見い出した(久野,1973;黒田,1965).久野に よれば,「Xは」が主題と解釈できるのは,Xが総称(generic),つまり類概念であ るか先行文脈で照応される(anaphoric)既知要素であるときに限られる.また記述の 「Xが」は述部が観察できる(習慣的でない)動作・存在・一次的状態のいずれかの ときに限られる.久野(1973, p.209)によれば,古い情報というのは,その文中位 置に埋め込まれる項目Xが予測可能であるという意味であり,主題の「Xは」の既知 性とは異なる概念である.一方,新しい情報とは先行文脈から予測・特定できない文 中の表現要素であるとされている.

    (2)
     a.「象は哺乳動物ですか?」
       「はい.象は哺乳動物です.」  (古い情報;照応)

     b.「東京と京都と名古屋の中で,一番歴史が古いのはどの都市ですか?」
       「そうですねえ.たぶん,京都が一番古いでしょう.」(新情報;照応)

     c.「僕が食事にいっている間,だれか訪ねてきました?」
       「ええ.お知り合いの中村さんがお見えになりました.」(新情報;非照応)

     しかし提題性や情報の新旧といった言語学者の用いる直観的概念は誤解や混乱を生 じている.また機能構文論の「は」の主題/対比と「が」の総記/記述についての言 語学的機能とその制約にもとづく説明は,これらの助詞の認知的機能について実質的 な説明を与えるものではない.また主題あるいは題目,および情報の新旧についての 言語学者たちの用法には一貫性がない.たとえばHalliday(1985)においては,主題 (thema)は文レベルで「この文はXについて語るのだ」というオリエンテーションを 聞き手に示し,主題-陳述(thema-rhema)の位置を区分する.それゆえ情報の新旧 区分には直接関係していない.一方,題目(topic)-コメント(comment)関係はいろ いろな話題の中から現在ピックアップされているものについて示すものであり,した がって当然に旧なる要素を担うと考えられている.しかし,久野(1973)やMathesius のFSPでは主題=旧と考えられている.松下(1930)は「XはY」において題目Xは 「既定不可変」,解説Yは「未定可変」と説明していた.この題目は既知項目である とする松下の題目-解説関係は,生成文法研究でいう"Topic-Comment relation"に 類するものと思われる.

    また日本語の「は」は旧情報を表わし,「が」は新情報を表わすということをChafe (1970)が指摘して以来,この「ハは旧,ガは新」という説明が日本語研究にとり入 れている.しかしこれらの直観的概念の取扱についてはじゅうぶん注意が必要である. ハリデイが注意しているように,文レベルでの主題の機能的定義から「主題=旧」と いえるわけではない.文のオリエンテーションとして最低Xが何かのことだと分かれ ば十分だからである.題目(あるいは話題)が聞き手と話し手の間ですでに共有され ている概念や事物を指すものから選ばれることは会話をスムーズに成り立たせるため の当然の要請であるが,仮にXがまったく先行文脈で言及されなかったとしても, 「ところで」とか「話しは変わりますが」などと前置きして「Xは」と切り出すこと は可能である.また,やはり会話の進行上の都合から,主題は文に1つであるのが普 通と思われるが,一方で「は」はいくつかの「主題」の候補を,代替可能な会話「題 目」の集合から明示的あるいは潜在的に対比する効果をもっている.




  2. 「は」の言語的機能とその制約

     本節では言語学において取り上げられた問題のうち,「主題」のとりたて機能と 「情報の新旧」の区分に限って,簡単にまとめておく.こうした言語学的研究に詳 しい読者は,A-4節まで読み飛ばしてもらって構わない.

    2-1 格機能の代行と主題化

     言語学者は「Xは」の表現機能を,おおまかにいって,文の主題(thema)の提示, あるいは会話などの先行文脈からの話題(topic)の選択,およびこうした主題ないし 話題の対比(contrast)として論じている.「は」が主題・題目となる語を「指示し, 提示し,注意し,明記し,列挙するという心持ちを表わす」という観察はRodriguez (1604-1608)に遡る.機能文法(Halliday, 1985)でいわれる主題(thema)とは, 文を話す人あるいは書く人が相手に対して「この文ではこういうこと(主題)につい ての情報を伝えますよ」というオリエンテーションを与えるものである.いいかえれ ば主題は話者と聞き手の間に共通の視点を開設するものだといってよいだろう.また 文「XはY」における題述関係(あるいは題目(topic)-解説(comment)関係ともい われる)とは,主題Xと陳述(rheme)Yのペアのことである.

     提題論における2つの観点は,(1)「は」の表現機能としての主題あるいは題目 をとりたてるはたらき---したがって「は」によってとりたてられなかった関連項目 との間で暗黙的な対比を生じさすはたらきが,文法的機能としての格助詞の仕事から 「は」を部分的に解放し,比較的自由に格関係を代行する(あるいは格を暗黙化する) ということと,(2)言語使用者がどのような状況を想定し,そこでの対象をどのよ うな視点から情報表現を選択しているのかという,文脈依存的かつ主体選択的な言語 使用を反映しているということであった.国文法における研究を山田を境に2分して, 山田孝雄以前の提題性研究で論じられた,「XはY」における「は」は,前後の成分 であるXをYから独立と見なしていったん分離・孤立化してから,Yと再結合すると いう観点(A)と,山田以降,松下・佐久間・三上らに引き継がれた,「は」と「が」 の使い分けは,発言の状況とそこでの話者の判断を反映するという観点(B)とは, それらを支えている認知メカニズムにおいて共通の基盤をもっている(尾上,1977). 尾上(1977)はこのことを示唆しているが,その論拠は明らかではない.

     一方,「XがY」のそれはおおよそ次のようである.まず文レベルでは述語フレー ムYに対する格成分(主格,目的格)スロットの値を項目Xによって特定化して記述 (description)を完成させ,また談話レベルにおいては聞き手の側で予測できない 「新しい情報」(new information)を伝える.ただし,日本語の場合,英語等に見ら れる性・数の一致が見られないため,主語の文法的な役割について疑問視されるとこ ろでもあるが,ここでは主語の議論には立ち入らないことにする.

     三上による格助詞の分類:
    連用  「が」(主格(subjective)),「を」(対格(accusative)),
    「に」(位格(locative),または与格(dative))
    連体 「の」(属格(genitive))

     文法的機能としての主語(主格)を表わす「Xが」を,単純に主題を表わす「Xは」 と同じと考えることはできない.三上(1960)は,「は」は文の主題あるいは題目をマ ークするという見解に沿って,有題文(1a)に対して(1b)をその無標あるいは 無題の文表現とみなし,またその文法的機能として格成分---ガ格,ノ格,ニ格,ヲ格, および無格---を代行しながら,一つの文として完結させることが係助詞「は」の役割 であると論じた.たとえば(1c)の「鼻は」は(1b)における主格「鼻が」にあた っていると考える.また,じっさいには,(1a)は(1b)における「象の鼻が」と いう主格成分中の属格「象の」の主題化になっていることから分かるように,格成分そ のものだけでなく,格成分中の連体成分についても「は」によって主題としてとりたて ることが可能である(久野,1975;菊地,1989).
     また従属文中の語句は主題化できないという言語学的仮説があるが,「は」による従 属文中の語句のとりたてが,�)不可能である,�)必要である,�)意味合いの違い を選択できるの3つのケースがある(寺村,1991).

    (1)
     a.「は」が(能格以外の)格成分を代行する例.(三上(1960)による.)
    象の鼻は,長い.(が格)
    この本は,父が買ってくれた.(を格)
    日本は,温泉が多い.(に格)
    昔は,京都が都だった.(無格)
       象は鼻が長い.(の格)

     b.「Xの」が格成分中の「の」格である例.(菊地(1989)による.)
      Aさんは書いた本がよく売れる.(の格)
       (Aさんが書いた本が良く売れる.)
      その本はAさんが書評を書いた.(の格)
       (Aさんがその本の書評を書いた.)
      Aさんはドロボーが家に入った.(の格)
       (ドロボーがAさんの家に入った.)

    c.能格の「Xが」,述語名詞句中の「Xの」などがとりたてられる例:
      あの人は,野球が好きだ.
       (目的格の「野球が」のとりたて)
      牡蠣料理は広島が本場だ.
       (述語名詞句「牡蠣料理の本場だ」の中の連体成分「牡蠣料理の」のとりたて)

     もちろん,三上も「は」の本務としての一文の完結を指摘しているように,文中の 表現成分を主題としてとりたてる「は」の本来の役割は,格助詞の文法的機能を密か に代行することよりも,むしろ国文法研究で伝統的に論じられた一連の係助詞---ハ, モ,コソ,サエ,デモ,ホカ,シカ,ダッテ---および副助詞----バカリ,マデ,ヤ ラ,カ,ダケ,グライ,ホド-----がもつ「とりたて」助詞としてのはたらきが強調 されているのである.こうした「とりたて」助詞に共通する興味深い認知的効果は, それが明示的にとりたてた語句と,じっさいにはとりたてられなかった語句との間に 意味的関係を,いわば主題選択の「影」として想定させることである(寺村,1991). 対比の「は」の用法は,もちろんとりたて現象の一環であろう.

    2-2 「は」の主題と対比,「が」の総記と記述

     久野(1973)は,「は」と「が」をめぐっての国語学者らの議論を消化しつつ,黒田 (1965)による「が」の分析を受けて,総記(exhaustive listing)の「が」,記述 (neutral description)の「が」(および目的格の「が」),主題(thema)の「は」, 対比(contrast)の「は」という言語的機能にもとづく分類を行い,その系統的変化を 機能構文論的な「制約」によって説明しようとした.

    (2)
     a.恐竜は変温動物である.(主題)
     b.ノートは持っているが,鉛筆を忘れた.(対比)
     c.ゾウは鼻が長い.(主題)しかしその足は短い.(対比)

     主題の「は」は「Xについていえれば,それは...」という意味でふつうに使わ れる.一方,対比の「は」は「Xについていえば,Yなのだが,X’についてはY’ だ」といった言外の意味をもちうる.ただし,とりたて助詞としての「は」が対比的 な意味を作るスコープは項目Xに対して,というよりはX-Yの関係に及ぶことがある. 久野(1973, p.31)はこうした現象を対比の「は」の転移と呼んでいる.

    (3)
     a.桜は咲いていますが,雨は降っていません.
     b.桜が咲いてはいますが,雨が降ってはいません.

     「が」の場合も「XだけがYで,それ以外のX’やX”や...はすべてYではな い」という含みが出ることがある.生成文法の研究者はこれを総記(exhaustive listin g)の「が」と呼んでいる(久野,1973).

    (4)
     a.沢山の自転車が放置されている.(記述)
     b.村山さんが首相です.(総記)
     c.水が飲みたい.(目的格)

     なお,「は」にも「が」の総記に似た「何々だけが...」という意味にとれる使わ れ方があることに注意しておきたい.ここでは限定の意味をもたらす「は」の用法を, 三上にしたがって「指定」と呼ぶことにして,「主題」や「対比」から区別しよう.ま た三上は総記の「XがY」にあたる用例を,「は」は使われてはいないが,主題Yが隠 されている「陰題」と考えた.

    (5)
     a.私はこの会社の社長だ.(主題の「は」)
     b.私がこの会社の社長だ.(総記の「が」)
     c.この会社の社長は私だ.(指定の「は」)
     d.この会社の社長が私だ.(不自然な文) 

     対比や指定の「は」は会話ではイントネーションやアクセントに変化を付けて発音さ れる.また文章あるいは単文として読まれるときにはこうした音韻的マークを置くこと はできないが,にもかかわらず明らかに対比の意味にしかとれない場合はそれと分かる.

    [主題のハの制約] 文「XはY」において
      主題の「は」 ==> 主題となる名詞句Xは総称(generic)もしくは照応(anaphoric).

     久野のいう総称とは,「人間はいつかは死ぬ」,「鯨はホニュー動物です」,「自動 車はタイヤがないと走れない」,「葦は植物です」といった例における類(class)概念とし ての語の使用をいい,また照応とは先行文脈ですでに言及済みの事物を指すもので,「 太郎は小学生です」,「秋子は太郎の兄弟です」といった例に見られる個体(individua l)概念としての使用である.これらの場合に限り主題の「は」として解釈できる.そう でなければ,たとえば「雨は降っている」,「大勢の人はパーティーに来ました」のよ うに,対比の「は」として解釈しようとしないかぎり単文としてたいへん座りが悪い.

    [中立記述のガの制約] 文「XがY」において
      中立記述の「が」 ===> 述部Yが非慣習的動作あるいは存在を表わす.

     たとえば非慣習的動作は「手紙が来ました」,存在は「雨が降っている」のそれぞれ の述部に見られる.この要求が満たされず,「犬が動物です」のように述部Yが状態, あるいは「太郎が毎日学校へ通う」のように慣習的動作を表わす場合,主語「Xが」は 強制的に総記,つまり「XだけがY」の解釈を受ける.このように定常的用法としての 「は」の主題および「が」の記述には制約がある.
     一方,対比の「は」や総記の「が」にはこうした制約はなく,いつでも解釈可能である. じっさい会話であれば,イントネーションにアクセントを付けることで,「は」や「が 」の非定常的用法であることがマークされる.なお,この制約によって説明できない現 象もいくつかある.

    (6)制約の緩和
    a.(否定表現)典型的な使用文脈が肯定的であるか,あるいは否定的であるかによっ て文の自然さが変わる.
     例.「雨は降っている」は単文として不自然だが,「雨は降っていない」は不自然で はない.むしろ「雨が降っていない」は不自然に思える.また「煙草は吸います」は不 自然だが,「煙草は吸いません」は自然である.
    b.(従属文中の「が」)従属文中では「Xが」の総記性は緩和される.
       例.「太郎が学生だ」は単文として不自然だが,「太郎が学生だと彼は信じた」は不 自然ではない.
    c.(限定詞)数量詞や程度の副詞によって「Xが」の総記性は緩和される.
     例.「学生が独身です」は単文として不自然だが,「大部分の学生が独身です」は不 自然ではない.

    (7)従属節中の語句のとりたて
     従属文中の成分は,ふつうは「は」で主題としてとりたてできない.しかし,主文と の関連性,情報度の高い場合は例外があるともいわれる(三上,1960;久野,1973; 菊地,1989;寺村,1991).
     例.「彼は父親が駅にいた」は単文として不自然だが,「彼は父親が育てた」は不自 然ではない.「大江さんは,書いた小説が良く売れる」,「この本は,A先生が新聞で 論評していた」は自然.「大江さんは,書いた小説の翻訳が難しい」,「この本は,A 先生が新聞で論評を読んだ」は座りがよくない.

    2-3 情報構造の新−旧の区分

     「ハは旧,ガは新」という観察そのものは,松下(1930)によって古くから指摘され ていたものが,Chafe(1970)がこの観察に言及して以来,多くの言語学者の所見に取り 入れられている.たとえば,

    (8)
      a.私は社長の田中です.(私:old, 社長の田中:new)
      b.私が社長の田中です.(私:new, 社長の田中:old)
      c.リンゴが落ちた.(リンゴ:new, 落ちた:new)
      d.(文の焦点)質問文中の未知要素に対する答の述部.あるいは答えの文.
       質問)このクラスは誰が学級委員ですか.
       応答)(学級委員は)太郎と花子です.(太郎と花子:new. )

    しかし未定情報の新旧の区分は,後述するように既定-未定(松下),既知-未知 (大野)など類似の概念との間に混乱を生じさせている.久野(1973)は機能構文 論(FSP;Functional Sentence Perspective)の立場から,この古来の観察を 注意深く検討し,主題「Xは」のXは旧という部分を捨てて,主文の主語「Xが」 は項目Xが新しい情報であることを示すという仮説に絞って検討している.たとえ ば,(9)の2文は述部(非慣習的動作)がともに同じであるから,前に述べた記 述の「が」の制約によって説明することができない.

    (9)
     a.太郎が昨日大阪に来ました.(「記述」と自然に受け取れる文)
     b.僕が昨日大阪に来ました.(「総記」と考えないと不自然な文)

     久野のいう新しい情報とは,名詞句(あるいは他の構成要素)が与えられた文に 占める意味的機能のうち「先行文脈からは予測できない」文中での意味的機能とさ れた.(9b)を説明するため,久野は「物語形式を除けば,会話のはじめに話者 が自分自身を新しい情報として提示できない」という制約を仮定した.以上,必ず しも納得行く説明ではないが,一応,情報の原理として以下にまとめておく.

    (情報の原理)
     a.文の貢献(新情報)は通常,文頭から文末に向かって増加する.旧-->新.
     b.主題の「Xは」における名詞句Xは,談話の当事者にとって共通の既知項目 として扱われる.
     c.「Xが」における名詞句Xは,聞き手にとって新しい情報であると話し手が 期待している.

     久野(1973)は,古い情報というのは文脈指示あるいは照応される語としてのX のことではなく,文中でのXに与えられた意味的機能が,文脈から予測できないと いうことだとしている.なおこれと類似の既知-未知(known-unknown)(大野, 1978),既定-未定(松下,1930)という観点は,情報の新旧と,照応関係 (anaphora)とを区別するために,言語使用者の認識状態に言及しながら直観的に 説明しようするが,言語使用者の知識モデルが明示されていないため,問題点の 解消には役立っていない.

    「君の嫁さんは私が捜してあげよう.」(三浦(1976)の例文)

     たしかに三浦が指摘するように,まだ見つかっていない「嫁さん」は既知である とはいえない.また,友人である「私」はもちろん未知ではない.しかしこの批判 は情報の新旧にかんする正確な理解をしていないためである.結婚についての話題 が先行していないときに上の文を発言するのは突飛である.この文で暗に想定され ている聞き手の結婚相手を捜す候補者Xが見つからず,したがって未知であるとき, 「私」がXを文中において特定化する新しい情報を担った要素なのである.

     いずれにせよ,情報の新旧の区分をきちんと定義するためには,言語使用者の相 互期待や状況把握を含めた知識モデルが明示されなければならない(たとえば, Rosenberg(1980)による深層格フレームにもとづく文章解析システムや,Haviland and Clark(1974)による認知心理学的モデルにもとずく新情報の加法的プロセスの 心理学実験はこの方向での先駆的研究だろう).メッセージとして文表現の選択的 使用は,特定の状況における使用という事実そのものが,メッセージの内容とは無 関係に意味的情報を伝えうることを忘れてはならない.「日本人は日本人だ」とい った旧-旧の組み合わせによる文ですら,その文の使用の事実性が発話者と聞き手の 側での相互認識を更新するのである.




  3. エージェントベース会話モデルへ向けて

     ところで,本文第1節の(1a〜c)は文法的にはいずれも明らかな間違いはないた め,その違いを文法性のちがいから明確に述べることはできない.またその違いを説明 しようとすれば,ふつうの人は言葉に詰まったり,あるいは人によっては「ちがいなど ない.どれも同内容だ」と性急に断定しがちである.たしかにこれらは象の鼻が長いと いうことについての同一の情報内容を含んでいるのだが,しかし文が発言される典型的 状況についての私たちがもつ期待と,象について私たちが参照する知識の組み合わせ (共変化)に対応して異なったニュアンスを伝えている.こうした説明がフレーム理論 によって,ある程度,記述可能であることが分かれば,「は」と「が」の使い分けは言 語使用者の状況特定的な判断のタイプを反映する.例えば,佐久間(1940)の「課題の 場」の概念,三尾(1948)の判断文・現象文などの型分類,および大野(1987)のいう 質問-解答関係としての「XはY」といった,直観的だが素直な国語学者らの見解に耳を 貸すこともできよう.

    三上(1960)が「代行」---むしろ遅延化と呼ぶきか---と呼んだ格の決定が未確定の まま進められる「Xは...」という文の意味処理は,細目が未確定のうちに仕事を実行 することができる一種の投機的知能としての言語的意識を改めて検討するきっかけを 与えている.言語使用の認知プロセスは,期待形成をフレームに,また情報実現を認 知的エージェントによって代行させるための割り込み(Minsky, 1985)と遅延処理と を背後にもっていると仮定すれば,情報表現の視点変換としての「は」の主題とりた て機能が,格フレームに対応する認知構造の一貫性を保つということ,「は」と「が」 の使い分けが文の使用状況を反映するという観点とは互いに矛盾しない.主題化と格 の代行という文表現操作に基づく「は」の言語的機能は,記述内容として同一の情報 について異なった視点からその情報表現を提示し,あるいは視点情報を別の視点情報 に変換するという,いわば関係データベースにおけるビュー生成操作にたとえられる ような計算的プロセスによって支えられていなければならない.またこうした日本語 の助詞「は」の機能に見られるような,視点に依存した情報を,円滑にかつ迅速に相 互変換する期待調整メカニズムこそ,Newellの一般化された「視点」の概念,あるい はMinsky(1978,1985)の遷移フレーム(trans-frame)あるいはフレーム配列(frame -array)の理論が目指した,認知表象の計算モデルにかんする認知科学的課題である.

     自分の伝えたい情報が,聞き手によって貢献としてうまく認知されるように,話者 がその視点(および相手の視点との相互関係)に応じて,情報(格フレーム)を変換 することとしての「は」の主題とりたて機能と,「は」と「が」の使い分けが文の使 用状況を反映するという観点とは互いに矛盾しない.前者は三上(1960)の題述関係論 において光を当てられた.また後者は三上が,山田-松下-佐久間らによる提題論研究 から継承した観点である.「は」による主題化と格の代行という文表現操作は,たん に論理的に同等の内容を変形ではなく,核となる同一の情報について異なった視点か らその情報表現を提示した表象,あるいはそうした視点の主体の認知をとりかこむ状 況を反映した表象を作り出すための言語使用規則であると考えるべきであろう.いい かえれば,視点情報を別の視点情報に変換することによって,コミュニケーションに おける貢献,すなわち新情報として適切なものに焦点を当てた認知を実現しているも のであると考えられる.



参考文献

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