貢献認知ゲームとしての会話:ハとガ,情報の新旧
平成7年6月25日(平成13年1月1日改訂) |
目次 |
概要
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(1) ふだん日本語を用いて生活している人なら,上のほぼ同内容の言い回しから,び みょうな意味の違いを感じるだろう.またそうした意味の変化は,その文が使用さ れる典型的状況について私たちが抱く期待と,その状況における文の送り手の情報 的地位を反映している.たとえば,(1a)や(1c)が発言されるのは,A)象 についての知識を人に伝える状況,またはB)象を実際にあるいは絵や写真で見な がら「長いなあ」と詠嘆するように言う状況のいずれかだろうと期待される.また Aのケースであれば,これらは文章中の一文としても自然である.一方,(1c) がBの状況で用いられる場合,発言者のまなざしは象の鼻の部分に注意が集中して いると期待される.(1b)はこのうちBのケースでは自然だが,Aの状況では使 いにくい.(1d)は「◯◯が」という表現が重なるため(ただし主格と目的格の ちがいはある),少々不自然ではあるが,「キリン,象,サイ,...の中でどれ が鼻が長いか?」という質問が発せられている状況で使用されたとすれば,その答 えの文としては自然である. このように「は」や「が」を含む文の解釈は,文を使用する状況,および発言者が 何に注目して語っているのかについて,私たちが抱く典型的なイメージや期待と共 に変化(covariate)していることが分かる. 日本語の助詞「は」と「が」の問題はしばしば内外の研究者らによってとりあげられ てきた.言語学では主に題述関係(thema-rhema relation, or topic-comment relation)や情報の旧/新(given/new)または既知/未知(known--unknown)の観点 から論じられた.日本語の助詞「は」は文の主題をマークするといわれる.国文法学 において主語,主格を表示するための文法的機能と,題目あるいは主題とり立てるに よって果たされるコミュニケーション機能という,「は」の二重の機能をめぐる長い 研究史がある(いわゆる提題性については尾上(1977)参照).三上(1960)は「は」 による主題のとりたてを格機能の代行という観点から分析した.また“情報の新旧” の文中位置(Chafe,1970;久野,1973;井上,1979)あるいは項目の“既知と未知” (大野,1987;北原,1981)という情報伝達機能をめぐって論じられた. また生成文法の研究者は「は」の主題(thema)と対比(contrast),および「が」の 総記(exhaustive listing)と中立記述(neutral description)と目的格を分類し, 主題の「は」が先行名詞句の既知性によって制約されること,および記述の「が」が 述部の性質によって制約されることを見い出した(久野,1973;黒田,1965).久野に よれば,「Xは」が主題と解釈できるのは,Xが総称(generic),つまり類概念であ るか先行文脈で照応される(anaphoric)既知要素であるときに限られる.また記述の 「Xが」は述部が観察できる(習慣的でない)動作・存在・一次的状態のいずれかの ときに限られる.久野(1973, p.209)によれば,古い情報というのは,その文中位 置に埋め込まれる項目Xが予測可能であるという意味であり,主題の「Xは」の既知 性とは異なる概念である.一方,新しい情報とは先行文脈から予測・特定できない文 中の表現要素であるとされている.
(2)
b.「東京と京都と名古屋の中で,一番歴史が古いのはどの都市ですか?」
c.「僕が食事にいっている間,だれか訪ねてきました?」 しかし提題性や情報の新旧といった言語学者の用いる直観的概念は誤解や混乱を生 じている.また機能構文論の「は」の主題/対比と「が」の総記/記述についての言 語学的機能とその制約にもとづく説明は,これらの助詞の認知的機能について実質的 な説明を与えるものではない.また主題あるいは題目,および情報の新旧についての 言語学者たちの用法には一貫性がない.たとえばHalliday(1985)においては,主題 (thema)は文レベルで「この文はXについて語るのだ」というオリエンテーションを 聞き手に示し,主題-陳述(thema-rhema)の位置を区分する.それゆえ情報の新旧 区分には直接関係していない.一方,題目(topic)-コメント(comment)関係はいろ いろな話題の中から現在ピックアップされているものについて示すものであり,した がって当然に旧なる要素を担うと考えられている.しかし,久野(1973)やMathesius のFSPでは主題=旧と考えられている.松下(1930)は「XはY」において題目Xは 「既定不可変」,解説Yは「未定可変」と説明していた.この題目は既知項目である とする松下の題目-解説関係は,生成文法研究でいう"Topic-Comment relation"に 類するものと思われる. また日本語の「は」は旧情報を表わし,「が」は新情報を表わすということをChafe (1970)が指摘して以来,この「ハは旧,ガは新」という説明が日本語研究にとり入 れている.しかしこれらの直観的概念の取扱についてはじゅうぶん注意が必要である. ハリデイが注意しているように,文レベルでの主題の機能的定義から「主題=旧」と いえるわけではない.文のオリエンテーションとして最低Xが何かのことだと分かれ ば十分だからである.題目(あるいは話題)が聞き手と話し手の間ですでに共有され ている概念や事物を指すものから選ばれることは会話をスムーズに成り立たせるため の当然の要請であるが,仮にXがまったく先行文脈で言及されなかったとしても, 「ところで」とか「話しは変わりますが」などと前置きして「Xは」と切り出すこと は可能である.また,やはり会話の進行上の都合から,主題は文に1つであるのが普 通と思われるが,一方で「は」はいくつかの「主題」の候補を,代替可能な会話「題 目」の集合から明示的あるいは潜在的に対比する効果をもっている.
本節では言語学において取り上げられた問題のうち,「主題」のとりたて機能と
「情報の新旧」の区分に限って,簡単にまとめておく.こうした言語学的研究に詳
しい読者は,A-4節まで読み飛ばしてもらって構わない.
言語学者は「Xは」の表現機能を,おおまかにいって,文の主題(thema)の提示,
あるいは会話などの先行文脈からの話題(topic)の選択,およびこうした主題ないし
話題の対比(contrast)として論じている.「は」が主題・題目となる語を「指示し,
提示し,注意し,明記し,列挙するという心持ちを表わす」という観察はRodriguez
(1604-1608)に遡る.機能文法(Halliday, 1985)でいわれる主題(thema)とは,
文を話す人あるいは書く人が相手に対して「この文ではこういうこと(主題)につい
ての情報を伝えますよ」というオリエンテーションを与えるものである.いいかえれ
ば主題は話者と聞き手の間に共通の視点を開設するものだといってよいだろう.また
文「XはY」における題述関係(あるいは題目(topic)-解説(comment)関係ともい
われる)とは,主題Xと陳述(rheme)Yのペアのことである.
提題論における2つの観点は,(1)「は」の表現機能としての主題あるいは題目
をとりたてるはたらき---したがって「は」によってとりたてられなかった関連項目
との間で暗黙的な対比を生じさすはたらきが,文法的機能としての格助詞の仕事から
「は」を部分的に解放し,比較的自由に格関係を代行する(あるいは格を暗黙化する)
ということと,(2)言語使用者がどのような状況を想定し,そこでの対象をどのよ
うな視点から情報表現を選択しているのかという,文脈依存的かつ主体選択的な言語
使用を反映しているということであった.国文法における研究を山田を境に2分して,
山田孝雄以前の提題性研究で論じられた,「XはY」における「は」は,前後の成分
であるXをYから独立と見なしていったん分離・孤立化してから,Yと再結合すると
いう観点(A)と,山田以降,松下・佐久間・三上らに引き継がれた,「は」と「が」
の使い分けは,発言の状況とそこでの話者の判断を反映するという観点(B)とは,
それらを支えている認知メカニズムにおいて共通の基盤をもっている(尾上,1977).
尾上(1977)はこのことを示唆しているが,その論拠は明らかではない.
一方,「XがY」のそれはおおよそ次のようである.まず文レベルでは述語フレー
ムYに対する格成分(主格,目的格)スロットの値を項目Xによって特定化して記述
(description)を完成させ,また談話レベルにおいては聞き手の側で予測できない
「新しい情報」(new information)を伝える.ただし,日本語の場合,英語等に見ら
れる性・数の一致が見られないため,主語の文法的な役割について疑問視されるとこ
ろでもあるが,ここでは主語の議論には立ち入らないことにする.
三上による格助詞の分類:
文法的機能としての主語(主格)を表わす「Xが」を,単純に主題を表わす「Xは」
と同じと考えることはできない.三上(1960)は,「は」は文の主題あるいは題目をマ
ークするという見解に沿って,有題文(1a)に対して(1b)をその無標あるいは
無題の文表現とみなし,またその文法的機能として格成分---ガ格,ノ格,ニ格,ヲ格,
および無格---を代行しながら,一つの文として完結させることが係助詞「は」の役割
であると論じた.たとえば(1c)の「鼻は」は(1b)における主格「鼻が」にあた
っていると考える.また,じっさいには,(1a)は(1b)における「象の鼻が」と
いう主格成分中の属格「象の」の主題化になっていることから分かるように,格成分そ
のものだけでなく,格成分中の連体成分についても「は」によって主題としてとりたて
ることが可能である(久野,1975;菊地,1989).
(1)
b.「Xの」が格成分中の「の」格である例.(菊地(1989)による.)
c.能格の「Xが」,述語名詞句中の「Xの」などがとりたてられる例:
もちろん,三上も「は」の本務としての一文の完結を指摘しているように,文中の
表現成分を主題としてとりたてる「は」の本来の役割は,格助詞の文法的機能を密か
に代行することよりも,むしろ国文法研究で伝統的に論じられた一連の係助詞---ハ,
モ,コソ,サエ,デモ,ホカ,シカ,ダッテ---および副助詞----バカリ,マデ,ヤ
ラ,カ,ダケ,グライ,ホド-----がもつ「とりたて」助詞としてのはたらきが強調
されているのである.こうした「とりたて」助詞に共通する興味深い認知的効果は,
それが明示的にとりたてた語句と,じっさいにはとりたてられなかった語句との間に
意味的関係を,いわば主題選択の「影」として想定させることである(寺村,1991).
対比の「は」の用法は,もちろんとりたて現象の一環であろう.
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