その言語観は概ね次のようである。意味のある沈黙も含めて、広い 意味での会話とは、たんなる情報や知識の転送ではなく、意図を伝 え何らかの目的を果たそうとする社会行為である。また言語の意味 は、文が使用されたときの規則を参照して決まる。またそれゆえ言 葉の意味が成立するか否かは、文の真偽によってではなく、使われ 方の適切性によって決まる。Austin(1962)は言語使用を、発言者が 自分の意図を、公に表明するための契約手続きに見立てて、その分 類を試みた。これらは、(1)declarative(宣言)、 (2)directive(命令)、(3)commissive(約束)、(4)expressive (表出)、(5)assertive(主張)といった発言者の意図にほぼ対 応する趣旨から分類される。つまり言語行為論は言語の表現形式 と命題的態度ないし発話者のメンタルモデルを対応させている慣 習的ルールの研究でもある。
言語の意味は、それが使用されたとき参照された構成的規則に 依存して定まる。 それはゲームのルールに次のような点で似ている。たとえば将 棋で自分の金を相手の玉の左前方に打てば、それはもはや私の 手が駒を移動させたというたんなる事実ではなく、「私は貴方 に王手を掛けたのだ。」という制度的事実を成立させている。 もちろん金が相手の玉の近くになかったり、逆の左前に相手の 桂馬があれば、王手を成立させる行為は成立しない。同様に、 私が貴方に対して「後ろのドアを閉めてくれ。」と依頼したと き、貴方の後ろにドアがなければならないし、またそのドアは 開いていなければならない。また私はドアを閉めたいと思う何 らかの動機をもっており、また自分自身で閉めるよりも貴方に 閉めてもらうことを、より望ましいと思っており、なおかつ貴 方にそれを言わなければ貴方は自発的にドアを閉める行為をし ないだろうと私は予想しているはずである。最後に、以上のよ うな言語使用の状況とその下でのこのような言語使用の意図は、 その当事者たちにとって共通に理解されており、談話理解のた めの背景期待として、何らかの不具合(ブレークダウン)が生 じない限り、デフォールトで成立する。
同様に、次のようなさまざまな言語行為を成立させるためには、 それぞれの言語行為の成立に必要な条件があるだろう。 言語行為論は、言語をその用いられ方に応じて発話者が意図を公 にするための使用規則からなる一種の社会制度にみたてる。 Searleは(おそらく通信技術者によるコミュニケーション理論と の違いを意識してか)制度論的コミュニケーション理論という呼 称も使っている。依頼する(request)、命令する(command)、質問 する(question)、警告する(warn)、助言する(advise)、挨拶する、 感謝する、陳謝する、祝福するなど。こうしたさまざまな社会的 に意味のある事実を成立させる意図の分かる話し手の態度を、発 語内行為(illocutionary act)という。一方、言葉を発する 行為そのもの(locutionary act)、あるいは言葉を用いて相手の 側で何かを遂行させる発語媒介行為(perlocutionary act)はこれ と区別される。発語内行為は話し手自身の側での意図にかかわる。 こうしたさまざまな社会的に意味のある行為を制度的事実として 成立させるための言語使用規則集のことを、構成的規則という (Searle,1969)。構成的規則(constitutive rules)は、条件ごとに 行為を逐一指示 する規制的規則やマニュアル的知識と異なり、憲法(constitution) のように、その行為が成立した状態が満たすべき制約条件を宣言 したものである。なお不文憲法の国では、言語は自発的秩序ない し慣習的規則という意味合いも暗に含まれるようである。
適切な言葉の使用法を通じて、人々は意図した社会的行為を遂行 する。言語行為論でいう「遂行性」とは、発話が生の事実とは異なる 「制度的事実」を生じさせる行為であるとみなせる程度、あるい はその意図の強さである。また遂行文(performative sentence)と はそうした行為遂行の意図を明示した文である。例えば「私は謝罪します。」 は遂行文であるが、「昨日、私は彼に謝った。」は遂行文では ない。同様に「痛い。」や「今日は天気がいいなあ。」といっ た感情表出や印象叙述は、それ以上の制度的事実を成立させな いので遂行的でない。
発言の遂行性は、語り口の選択によってその幅を調節できる。 「痛い。」とか「今日は天気がいいなあ。」といった発言は、 たんなる個人の感情の表出や印象の叙述であり遂行性は低い。 しかし上でいう遂行性は、あくまで文の形式から判断できる ものに限られている。もちろん、文を使用する状況が適切に選 ばれるならば、文字通りの意味ではない、言外の意味において 遂行性が生じることがある。たとえば「今日は天気がいいなあ。」 という文を、雨が止んだのに気付かずに傘をさしている友人に向かっ てこの文を使えば「もう傘をささなくてもいいのだ。」という助言 を間接的に遂行できるかもしれない。言外の意味は、間接言語行為 もしくは会話的含意と呼ばれる。
ところで、言語行為論はWittgensteinやAustin(1962)に遡る、 いわゆる言語ゲーム(Sprachspielを直訳すれば発話劇か)の 哲学的探究の文脈に位置付けされる。 Grice(1975)はStrawsonとの議論を通じて、意図は 発言者と聞き手の間で合理的に推理されると考える、別のアプロー チ(インプリケーチャ理論)に着手した。Searle(1969)は再び AustinやWittgensteinの論点に戻って、言葉を使うことを構成的規 則(constitutive rule)の集まり、あるいは一種の社会制度とみなした。 ただしVon Neumann以降のゲームの理論(初期のドイツ語論文では たしかゲゼルシャフトシュピールの理論だった)とは、一部 の例外ーーーHintikkaらによる論理学的言語ゲームや、Werner ら最近のDAI研究におけるエージェントの意図モデルーーーー を除けば無関係であった。しかし意図と遂行性の観点からゲ ーム理論と言語行為論の交差する会話ゲームの特徴を述べる ことは可能であろうと思われる。 すなわち、(緩やかな)会話ゲームとは、明らかな(必ずし も明らかでない)目標追及の意図を作り出す状況あるいは 状況についての信念や語り口である。また感情と制度の相互 補完関係という視点からは、近年の意思決定論(Elster,1996) につながる先駆的研究とみなせる。
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\bibitem{K} 片桐恭弘(1995): 「エージェントのメンタルモデル」『人工知能学会誌』 {\bf 10\/}(5),668-676.
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(1)言語的知識は、会話における受け答えの適切性(例えば隣接する 言語行為カテゴリーが質問・回答、提案・拒否等のペアになってい るかどうか)を識別する。 したがって言語的知識は、会話ゲームの各手番における可能な発言 のタイプを限定する。
(2)会話的知識は、隣接する発言ペアを超えて、会話をどのように 進めるかについての戦略(strategy)を定める。例えば前出のCfa等の会話ネッ トや、会議や公式行事の定型化された運用パターンが会話的知識 の例とみなせる。また会話に限らず、行為の典型的シナリオをま とめた人間の知識構造は、認知科学でスクリプトと呼ばれる。
(3)行動的知識は、言語的知識や会話的知識では解消できない曖昧 性(明示的でない言語行為論的カテゴリーの遂行)、つまり発言 者の意図を、対人関係を中心に構成される状況のモデルを通じて 解消するものである。例えば 「今日の5時から○○委員会があるのですが、出席できますか?」 という上司からの質問は、``Yes or No''の答え(情報)を求める 純粋な「質問」ではなく「勧誘」である。また権限関係の程度に よっては、出席と関連業務へのコミットメントを取り付けるため の「提案」ないし「指令」である。
なお(1)は言語行為論やGriceの協調原則、(2)は会話の開始と終了、 話題の導入や転換、新旧情報の提示順序等、社会学の会話分析や 機能言語学によって裏付けられる(Levinson,1983)。また(3)は シグナリングゲーム等のゲーム理論モデルである程度扱いうる。
\bibitem{ABC} Airenti,~G.,~B.~G.~Bara and M.~Colombetti(1989): Knowledge for Communication. In M.~M.~Taylor et al.(eds.). {\em The Structure of Multimodal Dialogue.\/} North-Holland.
\bibitem{ABC} Airenti, G., B.G. Bara and M. Colombetti(1993): Conversationa and Behavior Games in the Pragmatics of Dialogue. {\em Cognitive Science\/} {\bf 17\/}.
1)XはPを信じている、
2)XはPを信じる理由をもっている、
3)Pが到達可能なすべての世界において真。
Hintikkaは言語ゲームは、それを通じてある命題の真偽を決定する ための議論の手続きとして定義した。つまりS(最初の話し手)は 命題Pを知識ベースKにおいて証明しようと試み、H(最初の聞き手) は〜Pを証明しようと試みる。
命題が複合的である場合を含めて、言語ゲームを次のように定義する (Hintikka,1973)。
・プレイヤーは、SとH。
・各サブゲームFの結果は、{Sの勝ち、Hの勝ち、引き分け}のうちいずれか。
・サブゲームF(P、Q)、命題Q∈K/P、知識ベースK、検索スキーマK/Pとする。
ケース1)Q=P =>Sの勝ち、
ケース2)Q=〜R =>SとHの役割を交代し、F(P、R)をプレイする。
ケース3)Q=C1&...&Cn =>各CiにつきF(P、Ci)をプレイする。
F(P、Ci)の勝者が見つかった時点で、それがF(P、Q)の勝者。
F(P、Ci)の勝者が見つからなければ、F(P、Q)は引き分け。
Kがエージェント(信念者)から真理値への関数のときは、SとHの各信念システム をB(S)とB(H)とする。主張と質問の各言語ゲームは、次のような運用論的 条件に従う(Jackson,1985)。
(非反復性条件)Sが分別をもってPを主張するとき、明らかなトートロジーや矛盾 をいってはいない。
(受容条件)HがSを信用していれば、B(H)においてPが偽ということを Hが自身で示せなければ、これを受け入れる。
なお非反復性条件は、現実の会話における談話的ルール、たとえば話題参照や新旧 ストラテジーを扱うためには問題がある。なお何が自明でないかというのは、 情報の新旧、関連性などにかかわっているが、それ自体も簡単ではないと 思われる。
(1)関連性と文脈効果は補完的である。
(2)関連性と想定の処理コストは代替的である。
定義(文脈含意)。想定集合(新情報){P}が文脈(旧情報){C}において、 想定Qを文脈的に含意する。
<=> {P}と{C}の結合がQを非自明に含意し、かつ {P}と{C}がそれぞれ単独でQを非自明的に含意することはない。
話しをゲーム論的会話モデルに戻そう。 一連の会話ゲームの記録Rは、誰が何を尋ね、主張し、受け入れ、または拒否したか を参照できる共有知識ベースである。これはHewittのいうオフィス情報システム における、一連のDue Processにおける議事録に相当するだろう。
SとHの相互的信念をB(H/R)、B(S/R)とする。なお、Jacksonは 高階の相互信念を区別していない。
B(S)とB(H)は各人の私的情報であるから、SとHの相互的信念は、 B(S(B(H))、B(H(B(S))、B(S(B(H(B(S))))、 B(H(B(S(B(H))))、...、B(S(B(H(…)))、 B(H(B(S(…)))などを含む。これらは、記録Rの関数として要約されて推定・ 更新されるものと仮定する。
(Sの勝ち)PがRで不確定であるが、HがPを受け入れたとき。
(引き分け)PがRで不確定であるが、HがB(H)−> 〜Pという理由で受け入れない。
(誠実性条件)Sが誠実なら、PはB(S)において確定か否かに関わらず、 SはPを意識的には信じていないか、あるいはPでないと信じている。
(非反復性条件)Sが分別をもってPを主張するとき、明らかなトートロジーや矛盾 をいってはいない。
(受容条件)SがHを信用していれば、B(S)においてQが偽ということを Sが示せなければ、これを受け入れる。
(Sの競争的勝ち)PがB(H)で確定であるとHが示せず、Hが答えられないとき。
(S&Hの協力的勝ち)PがB(H)で確定であるとHが示せて、これをSが受け入れるとき。
(S&Hの協力的負け)PがB(H)で確定であるとHが示せて、これをSが受け入れないとき。
このようにJacksonは質問ゲームにおいて、競争的な勝ち負け/協力的な勝ち負けを区別した。 通常の質問は、SがHをinformantであると見込んでの救援行動であるり、Hは Sに協力して情報を与えることで両者ともに勝つ。一方、質問という形で、Sが Hに対して挑戦や尋問を間接的に遂行する場合、Hが答えられなかったらHの負 け、Sの勝ちなる。しかし学校などで教師(S)がinformantで、生徒(H)への 教育効果をテストする場合の「質問」では、Hが答えられなければ、S はむしろ負けではないのか。もちろん、たんに生徒の理解の程度を確かめる場合であれば、 いずれにせよ教師(S)の目的は達せられ、これは生徒(H)が自身で勝ち/負 けを感じることと独立である。すなわちSの関心ある「情報」が、Hのメンタル ステートであり、それにかんしてSはinformantでないため、通常の協力的質問 となっている場合である。
こうした質問ゲームの家族的類似で興味深いのは、ゲーム理論でいうところの エージェントの利得構造ないし効用関数が、状況を会話者がどのように認知して いるか、とくに相手との関係で信頼できるかどうか、悪意や敵意はないかどうか といったことに、敏感に反応するであろうという点である。
HintikkaやJacksonは、いずれもゲーム理論的意味論をそのまま適用する方針を とっており、ゲーム論的状況の解釈の問題についての踏み込みが甘い。たとえば Jacksonの質問ゲームは不完全情報ゲームとして扱うべきもので、一般的には ベイズゲームないしシグナリングゲームの範疇に落ちる。またHintikkaはゲー ムの勝敗(結果)を、そのまま論理学的真偽値に置き換えているが、これが 言語ゲームの哲学思想を十分反映したものであるとはいいがたい。 こうしたモデル解釈上の問題があるにもかかわらず、しかし、 さまざまな発語内行為間の反応動学としてのゲーム、そして会話者のメンタル モデルを含むゲームの結果において、言語使用の意味がインプリメント されるとするアイディアには創造的な誤謬が含まれいる。 すなわち、制度論的コミュニケーション理論としての言語行為論のねらいを、 ゲーム理論におけるインプリメンテーションの形式に置き換え、かつまた均衡 プレイからの逸脱に伴う感情と意図された制度的デザインとの相補関係と 結び付けるアナロジーを示唆したものと解釈することができよう。こうした 中心−周辺の認知的装置を考察するにあたって、批判されるための叩き台を 作ることが次なる課題であろう。
\bibitem{C} Carlson, L. (1983): {\em Dialogue Games\/}. Kluwer Academic Press.
\bibitem{Hi} Hintikka,J. (1983): {\em Logic, Language-Games and Information.\/} Clarlendon Press.
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